1つの事業で100人雇用するよりも、ゼロから1を作り出す人を100人生み出す
それはなぜでしょうか?なぜ全員が再び戻らないのでしょう?
個々に事情は異なりますが、避難先での新しい暮らし、利便性、教育環境、そして雇用等、そもそも震災前から存在していた課題が浮き彫りになったとも言えるのです。
そこで和田さんは高校生に問いかけます。『自分が小高の住民だったら、と考えてほしい』と。小高の地で生まれ育ち、東京で学び、起業して、震災前に再び小高に戻った和田さんは、地域を蝕んだ依存体質に問題意識を持って居ました。『地域の100の課題から100のビジネスを創出する』こと。つまり、今の小高にとっては、帰還する住民の暮らしを支えるスモールビジネスをいくつも創出することが必要で、それは「こんなサービスがあれば住めるな」とか、「こんな仕事があるのなら戻って暮らせるね」と思ってもらえる環境づくりだと和田さんは志します。
そんな着想からはじめたコ・ワーキングペースの「小高ワーカーズベース」。帰還準備に向け作業にくる住民や工事関係社にあたたかごはんを食べてほしいという想いから人気の食堂を受け継いだ「おだかのひるごはん」や日常品を購入できる「東町エンガワ商店」、そして若い女性が手に職を持ち活き活きと小高で働ける場「ハリオランプファクトリー」など、和田さんの事業はすべて住民目線でした。
人の行く裏に道あり花の山、視点を変えればチャンスが
『一般的な常識にとらわれずに、当たり前と思っていることを一度疑ってみる、違う角度からものを見る視点を持ってほしい』という和田さん。今の小高は住民がゼロだけれど、10年間で5000人もの人口が急増する街には、チャンスがたくさんある、ということであって、人が気づかないような踏み固められた道の裏にこそ、きれいな花が咲くのだといいます。
『小高は、都市型の消費を楽しむ豊かさにも恵まれなければ、田舎型の恵みを享受する豊かさにも乏しい。人がいなくなったからこそ、現代社会の価値観の延長線上では見出せなかった新しい価値を積み上げられる』。和田さんの避難区域・小高での挑戦は無限大に広がります。
高校生からは、和田さんに様々な質問がぶつけられます。
新しいことをやるときの手段はどう考える?
リスクを乗り越えて起業しようと思ったのはなぜ?
ワクワクする気持ちはどんな時に起こる?
一番はじめに起業したとき、思い浮かんだ人は?
人脈はどう広げた?
仕事の原動力は?
女性向け事業を考えた時に「ガラス」に着目した理由は?
ガラスのプロジェクトは、観光業など、小高のブランドになるような展望をもっているか?
なぜ若い女性向けに考えを広げていったのか?男性ではだめだったのか?
若い女性以外のターゲットに対してはどう向き合うか?
南相馬小高区に生まれてよかったと思うことは?
和田さんの小高地区の理想像を教えてほしい
成功の反対は失敗ではなく「何もしないこと」
印象に残ったのは「事業に失敗したらどうする?」というシンプルな質問。和田さんにとって、成功の反対は「失敗」ではなく「何もしないこと」。失敗の概念は持たずに、うまくいかなかったらやり方を変えてまた試行錯誤しながら挑戦をする姿勢が大事と。
これには半谷も共感し、自分の志(目的)が社会的な価値づくりにつながっているかどうかをチェックしながら、その「手段」を何度も転びながら試行錯誤する事業スタンスは、自分も同じであると熱っぽく伝えます。だからこそ「志は、じぶんのやりたいことでないと続かない」と。自分がやりたいことだからこそ、何度転んでも起き上がることができるというのが、半谷流です。