福島での経験を経て、コロナにどう立ち向かうのか
2週間前にトライアルとして行ったオンラインでの「あすびと会」。5月3日、9人の大学生たちと社会人の4人のプロボノ・メンターの皆さんとともに、あすびと会オンラインセッションは、3時間にわたる濃密な対話の場になりました。
今回事前に立てた問いは「地震・津波・原子力事故を経験してきた福島の私たちは、全国危機のコロナにどう立ち向かうのか」というもの。
目に見えない放射線による福島の事態と目に見えないウイルスによる全国の事態は、風評被害を含めた災いの構図に酷似したものがあると考えた私たち。一方で、それを乗り越え新しい価値を創ろうと歩んできた福島に由来する私たちは、全国危機のコロナへの当事者意識もより高め、それぞれが何かに向き合うことができるのではないか。そんな発想から、たとえ明確な答えが見いだせなくても、あすびと会として内省し、深め合おうとしました。
このコロナ禍において、学生たちが直面する問題への意識は多様です。
大学の授業もオンライン化が進む中で、仮に質として十分なものではなくとも単位を修得していくことに対する不安や、時間があるからこそ「やらなければならないこと」を自分自身に課して雁字搦めになってしまっている心境など。オンラインであっても、あすびと会を安心できる場として受けとめ、率直に感情を吐露する学生たちの真摯な姿がそこにありました。
一人の学生が投げかけた問いは、福島での震災当時と今回のコロナの状況を対比する中で、「小学生だった自分たちには、どんな不安があったのか」というものでした。同じ「見えない脅威」に対する不安の感じ方から、このコロナ禍を生き抜くヒントがあると考えたからでしょう。
「浜通りで実際に津波を目撃して死の恐怖を抱いた」
「関東の避難先で自分が受け入れられるかという不安」
「ラジオしか情報なく、頭の中で怖いイメージを想像し、恐ろしくなった」
「中通りでも、自宅の倒壊が怖く、寝る直前まで車の中で過ごした。断片的な情報ばかりで、より不安になった」
このように、小学生だったとはいえ、学生たちの当時の思いは鮮明でした。一方、「今は情報も入手しやすく、横で繋がることが出来るから、何をすべきが考えられる」「コロナは、人と会えない不安が大きい」と発言が続き、この9年の間の成長や視野の広がりを共有する場になりました。
「複雑に利害が絡み合う成熟した社会を変えるのは革命ではなく、小さな行動と成功の連鎖」と、最後に半谷が語りかけたのは、福島で震災を体験したからこそ何かに踏み出そうとする学生たちの背中を押すものでした。「たとえ小さな行動でも卑下することなく、そこでの小さな成功が大きな成功につながっていくことを信じてほしい」
学生だけに限らず、より大人にとって、行動の必要性が問われているのですね。
コロナとの向き合い方を将来振り返った時、単なる陰鬱な時間だったと憂うのではなく、コロナ禍を契機とした内省と行動が自分の原点だったと思えるように、考え続け、行動したいものです。