”あすびと”のトップランナー・菅野智香さん

  • 大学生
  • 2018.7.25 Wed
30708475_781187142081743_184809200046571520_o

”あすびと”のトップランナーとして

 

福島県郡山市の県立安積高校を卒業した菅野智香さん。

「あすびと塾」からはじまり、自らの志を形にした「高校生が伝えるふくしま食べる通信」の創刊編集長として後輩たちを牽引してきました。現在明治大学の3年生になった菅野さんは、福島と常に向き合い続けています。郡山出身でありながら、原発事故の影響を色濃く受けた相双地域に対してもある思いを抱き、避難解除された浪江町のコミュニティづくりにも意欲的に取り組んでいます。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

自分にとっての「あすびと塾」や「高校生が伝えるふくしま食べる通信」

 

ひとことで言えば、自分の想いを実現できた場です。東日本大震災当時は、中学1年生でした。私が住んでいた郡山でも家の塀や屋根の瓦が崩れたり、被害はそれなりにありました。その風景を見ていると「このまま自分の街が壊れてしまうのではないか」という気持ちになり、何となく不安を抱きながら中高時代を過ごしてきたように思います。

そういった中で、将来の夢を大人たちに話すと、表面的には褒めてくれていたのですが、あすびと塾で出会った半谷さん、はじめて「じゃあ、その夢を実現するために、具体的に何から始めようか」と言ってくれたんです。そこに集まってきたのも、なんでも話せる素敵な仲間になりました。

「高校生が伝えるふくしま食べる通信」は、創刊編集長という立場ではありましたが、実は私は口ばかりでした。想いに共感してくれた後輩たちがいたからこそ、それが実現できたと思っています。人の気持ちに共感することはとても難しいことだと思うのですが「大好きな福島が誤解されて悔しい」という私の想いを、後輩たちが自分事としてかみ砕いて受け止めてくれたことがありがたかったです。編集長として、自分の想いが形にできたという感覚はありますが、あすびと福島が企画・運営している企業研修の縁で、東京の企業でPRさせてもらう場もたくさん頂きました。そこで自分の想いを言語化していくことはできた一方で、自分自身の力では何もしていなかったのでは、という葛藤も実はあったかもしれません。

 

自分自身の夢、福島との向き合い方

 

浪江町の避難指示が解除され、一時帰宅できるようになった段階で、浪江町出身の友人から街なかをアテンドしてもらう機会がありました。震災後、中通りの6年間と、浪江町の時が止まった6年間を対比し、改めて震災後に抱いたような感情がわきあがってきたんです。私は中通り出身ではありますが、この街に対して、自分事として何か取り組めることを見つけたいという想いが強くなりました。

 

具体的には、浪江町で花の栽培を手掛けている方がおり、市場でも評価されているのですが、実際に町に住む人たちにはその取り組みが伝わっていないことに着目しました。町に人が戻らないことで荒廃した風景が広がってしまうことにも危機感を感じたので、日常生活の中で町の人が花を沢山目にすることで、「人が住んでるんだな」という気配を感じてもらえるような息を吹き込む活動をやってみようと思いました。

 

そのために、大学時代をどう過ごせばいいか。

 

大学で福島出身というと「大変だったでしょう」という反応をされます。それに対し、実際に自分は「中間被災者」であるという忸怩たる思いがありました。そのような経緯の中で、相双地区の現状をしっかり発信することの必要性を改めて感じましたし、実際に大学のクラスメイトたちにも少しずつではありますが関心ごととして捉えてもらえるよう浸透してきたように思います。

大学生あすびと塾では、この浪江での花プロジェクトについても情報を共有してフィードバックいただきながらブラッシュアップしていきたいですし、後輩たちに引き継いでもらえるような場にもしていきたいです。

 

_MG_1797

29340454_768417110025413_8713599263231180800_n

 

関連記事