「高校生発 ロールモデルを見つけよう」 [編集長 佐藤茅音](2021年10月24日取材)
今回のロールモデルは、私たちの住む南相馬市で「小浜製作所」という地場産業を経営している、川岸邦彦さんです。
小浜製作所は、金属加工の分野で一目置かれている会社です。
その高い技術力は大手企業をはじめ、全国各地の企業さんからお仕事の依頼を頂くほど。
今回の取材は、そんな小浜製作所の社長川岸さんに、会社とご自身のこれまでの歩み、
そして努力の秘訣をうかがいました。
《小浜製作所の歩み~東日本大震災を乗り越えて~》[編集長 佐藤茅音]
小浜製作所は、先代である川岸さんのお父様が1985年に創業しました。
『KOBAMAmotivation is 難加工』をコンセプトに掲げ、
他社がやりたがらないような難しい案件も積極的に受け入れ、創意工夫を凝らして乗り越えてきた会社です。
36年間の歩みをもつ小浜製作所ですが、会社の存続を揺るがす大きな試練がありました。
2011年3月11日の東日本大震災です。
元々小浜製作所は南相馬市原町区の沿岸部に工場がありました。
工場自体は津波の被害を受けずに済みましたが、周辺は沢山の瓦礫で埋め尽くされ、
工場まで辿り着くことは困難な状況でした。
さらに震災から1か月後の2011年4月、工場は福島第一原発の半径20km圏内にあったため、避難を余儀なくされました。
工場が使えないことは製造業にとって致命的です。
2011年11月、震災から8か月後にようやく再開にこぎつけましたが、仕事の受注はなくなっていました。
当時から経営に携わっていた川岸さん。
「このままではいけない」と、現状を打破すべく、大きく舵を切ることを決意します。
従来手掛けてきた産業装置(各産業の現場で使われる機械)の部品製造から、
全く経験のない「試作品製造」に着手しはじめたのです。
試作品とは、世の中に出る前のいわば前例のない製品。
試行錯誤が前提で、製作可能かすらわからない、無理難題ばかりの分野でした。
しかし、その無理難題の分野が難加工にチャレンジし続けてきた小浜製作所を活かすことに繋がります。
モータースポーツ関連から航空機など、様々な業界の試作品を果敢に手がけ、信頼を勝ち取っていきました。
———震災によって仕事を奪われたが、それが私たちにとってターニングポイントになり、
多方面からの評価をいただけた———
川岸さんが語るように、試作品製造を機に小浜製作所の業務分野は広がり、
あらゆる業界から評価される会社へとさらなる発展を遂げました。
《小浜製作所のこだわりから広がる仕事》 [荒川翔矢 相澤伊織]
小浜製作所さんの一番の特色は、すべての部品を溶接ではなく切削のみにこだわり、加工しているところです。
そのため、頑丈で精密な製品を作ることができ、高く評価されています。
高い加工技術を誇る小浜製作所さんでは、東日本大震災以降は
自動車産業、航空宇宙産業の装置部品の加工をも扱っています。
他にも、人工衛星や病院にあるMRIなどの細かい部品の加工も行っていることを知り、
身近にある会社が地域の枠を超えた仕事をされていることが嬉しくなりました。
川岸さんは「自分たちが作る部品は表舞台には決して立たない。陰ながら製品を支えている」と話されており、
まさに縁の下の力持ちという言葉がよく似合う方です。
そして、縁の下から支えていることにとても誇りを持っていらっしゃると感じました。
縁の下の力持ち集団の小浜製作所さんは、市内の催し物に体験ブースなどを出展し、
地域の人に自分たちの製品作りの一端を体験してもらう活動も行っています。
小学生のころ、実際に体験ブースで楽しませてもらった小浜製作所さんの話を
高校生になって直接聞けて、ご縁を感じた自分たちでした。
《川岸さんってどんな人?》[大矢 悠希]
南相馬市小高区にある福島県立小高商業高校(現小高産業技術高校)卒業後、
福島県立テクノカレッジ郡山(技術系の短期大学校、現・テクノアカデミー郡山)に進学。
25歳の時に地元に戻り、お父様が経営していた小浜製作所に入社し、2017年に社長を引き継ぎます。
他社への見学も進んで行い、同じ業界の方たちと協力しながら、より良い製品の開発に努力を惜しみません。
そして、難しい製品作りにも積極的にチャレンジし、技術の向上に努めます。
そんな川岸さん、「趣味はないんですよね~」と仰っていましたが、話を伺っていくと、
むしろ好奇心が強く興味の対象が広すぎるのだと判明しました。
その少年のような心は、仕事への向き合い方にも通じていると感じました。
また、川岸さんのお話の端々から見受けられたのは、その交友関係の広さ。
そこで、人とのお付き合いの秘訣を伺うと、ひとつは、聞き上手になることだそう。
自分は話し下手だから、聞く方はちゃんとしようと心がけているとのこと。
また、自分の失敗や恥ずかしい話など弱い部分を最初にさらけ出すと心を開いてもらえるよ、と教えてくださいました。
そして、最も重要なのは「一緒にお酒を飲むこと」。
このお話については、大人になったときに参考にさせてもらおうと思います。
《川岸さんの目指す製造業の姿》 [桑折汐凪 星洸貴]
多くの知見を柔軟に取り込んでいる川岸さん。
会社の理想的な形が自分の中で明確に出来上がったのは、研修の一環でドイツの工場を見学してからのことでした。
初代社長であるお父様に「一度でいいから行くとよい」と言われ、憧れていたドイツ。
その「工場の本場」で実際に見たのは、作業がロボットによって自動化され、残業もない、
川岸さんの知らなかった製造業の姿でした。
残業当たり前、納期に間に合うように夜中まで作業はいつものこと、
との感覚で仕事をしていた当時の川岸さん。
ドイツの企業が社員のプライベートにも配慮していることに衝撃を受けたとのことです。
このとき川岸さんは、「日本の製造業の姿を変えよう」との想いを強く持ちました。
日本の産業を支える「製造業」ですが、残業が多く大変と、負のイメージが付きまといます。
「製造業を営む自分たちがイメージを変えていかなきゃいけない。
そして今後、若い世代にもモノづくりに携わりたいと思ってほしい」と話されていました。
さらに川岸さんは「笑い声が聞こえる職場にしたい」と言っていました。
川岸さんが製造業の変革の一歩として考える会社像には、社員を想う人柄が強く出ていて素敵だなと思いました。
《高校生へのメッセージ》[編集長 佐藤茅音]
何事にも果敢にチャレンジしてほしい
「自分が将来何をしたいのかわからない…」こんな悩みを持つ高校生は沢山いると思います。
しかし川岸さんは「それは簡単に分かるものではなく、
実はとても難しいことだから焦る必要はない」と仰っていました。
川岸さんそして小浜製作所は「challenge spirits」
1つ1つに情熱を注ぎ、努力をして諦めずに挑戦し続けること を大切にしています。
高校生には、自分が興味のあることを見つけるためには、
勉強だけでなく遊びにも本気になり、気になったことことには果敢にチャレンジしてほしい。
一つ一つのチャレンジが枝分かれしていき、自分たちの可能性が広がっていくと話されていました。
川岸さん自身、若い頃から製造業一本というわけではなく、
遊びにも全力だった時代を経たからこそ今がある、と仰っていました。
努力に裏切られたことは一度もない
川岸さんは「努力」という言葉が大好きだとおっしゃいました。
ご自身の経験でも努力に裏切られたことは一度もないとのこと。
印象的だったのは海外研修の話。
「ドイツに行きたい!」という想いを持ち続けて一生懸命仕事に励んでいたところ、
偶然そのチャンスが舞い込んできたそうです。
「情熱を注いで努力し続けることで、必ず願いは叶う、本気でそう信じている」
力強く話される川岸さんの言葉が強く胸に響きました。
【編集後記】
次回もぜひご覧ください!
ロールモデルを発信していきます!